出水麓武家屋敷群
★国の重要伝統的建造物群保存地区 出水麓武家屋敷群
National Inportant Traditional Building Preservation Area
Izumi-Fumoto Samurai Residences
1615年徳川幕府の一国一城令により、全国の山城などは壊されました。薩摩では1602年に完成した鹿児島の鶴丸城を本城(内城)として、領内のそれぞれの地域を外城(とじょう)と呼び、国全体を一つの巨城としていました。外城内には「麓」呼ばれる武士の居住集落があり、たくさんの武士が住んでいました。薩摩は人口の4分の1が武士であり、本城だけに武士を集める訳にはいかず、領内の外城に分散させていました。外城という名称は後に郷と変わりましたが、外城(郷)は最終的に113ケ所までになりました。 数ある外城の中でも、特に重要視されていたのが、ここ出水外城でした。北は肥後との国境であり、戦略的にも重要な地域だったのです。そのため、薩摩では最初に出水麓武家屋敷群の造成に1599年(関ヶ原の戦いの前年)から着手し、30年の歳月をかけて完成させ、およそ150軒の武家屋敷を造りました。そして、薩摩内外から屈強な武士を移住させ、国の防衛に当たらせたのです。薩摩の前線基地としての江戸時代の佇まいが今も残る44haの出水麓武家屋敷群の街並みをお楽しみ下さい。
(平成7年12月26日 国の重要伝統的建造物群保存地区選定  平成元年5月20日本遺産認定 )
Edo-period Satsuma Domain had set up so-called “outer towns” throughout the governing territory. About a handred of these were then called “fumoto”. Izumi Fumoto is said to have been the very first and the largest one.
☆有料武家屋敷
北側から望む
むらさき堂