竹添邸
★公開武家屋敷(有料) 竹添邸
邸内公開武家屋敷です。竹添氏は肥後人吉城主相良氏の一族です。相良氏と島津氏の戦いがあり和睦となった後、島津氏に仕え大口に移住しました。その後米ノ津で郷の政務に携わり、1637年麓に移り、代々郷士年寄噯(あつかい)などの重職を勤めてきました。(140~170石)広い竪馬場通りに面し、地頭の役所であり、藩主の宿泊所でもある御仮屋(現在の出水小学校)に近い位置にあります。ここは幕末の大火で消失してしまいましたので、幕末~明治期に建て替えられました。現在は瓦屋根となっていますが、江戸時代の武家屋敷は茅葺の屋根でした。出水市が買い取ったあと、改修して平成8年から一般公開されました。庭にある馬小や風呂、蔵などはこの時再現されたものです。
竹添邸見取り図
竹添邸 見どころ紹介
奥座敷  年長者(御隠居)の部屋だったと思われます。
囲炉裏の間  当主はここで食事をしました。
※1 ここは仏間となっていますが、仏壇はなく、代わりに神棚があります。明治初期、鹿児島でも廃仏毀釈があり、仏壇を撤去して神棚を作ったと思われます。
落雁の木型 お菓子も家で作っていたようです。一番古いものは嘉永6年のものです。(右))
台所 公開された時再現された台所です。右の板の間は元々は土間で農作業なども行われていました。
次の間 武士の来客の時、お付きの者が控えている部屋です。
座敷  壁にはベンガラが塗られています。ベンガラは「弁柄」あるいは「紅殻」とも表記されますが、酸化第二鉄を主成分とした赤色顔料のことで、その発祥はインドのベンガル地方といわれ、それにちなんで「ベンガラ」と呼ばれるようになったと言われています。
馬小屋 修復して公開される時に再現されたものです。
湯屋 修復し公開されるときに再現されたものです。
蔵 公開された時に再現されたものです。
太刀荒い 戦で血の着いた刀を洗うための物です。
示現流鍛錬用横木  薩摩独特の流派で、一撃で相手の受けた太刀ごとたたき切るという剣法で、薬丸自顕流と薩摩示現流があります。木の棒で横木をひたすら打ち込む鍛錬のためのものです。