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亀ヶ城(出水城)城郭符配布
  城郭符とは、神社仏閣の御朱印のお城版です。最近全国のお城でが記念として登閣記念証、御城朱印、お城御朱印、来城記念符、登城記念証、登城記念符などを 販売していてブームとなっているようです。出水にも建物は残っていませんが、出水麓武家屋敷群の裏の城山にあった中世の山城 亀ヶ城(出水城)がありました ので、お城ではありませんが薩摩藩の外城であった出水麓武家屋敷を訪問して頂いた記念として、城郭符を発行することになりました。今のところ販売ではなく 寄付をお願いするというかたちにしていますので協力をお願いします。公開武家屋敷「竹添邸」と「税所邸に」置いてあります。 なお亀ヶ城は城山墓地公園のところまで車で行けますが、曲輪があったところは立ち入り禁止となっていますので宜しくお願いします。
攻城団サイトへ  亀ヶ城の城郭符が紹介されています。

亀ヶ城 城郭符

★亀ヶ城(出水城)について
亀ヶ城とは、出水麓武家屋敷群の裏にある城山にあった中世の山城です。1190年代に和泉兼保によって建てられました。 その後伴系和泉氏に代わり、和泉氏である島津忠氏が入りました。和泉氏が途絶えたあと、島津宗家8代久豊の次男用久(もちひさ)が 薩州家を興し亀ヶ城(出水城)に入り、出水・阿久根を治めました。5代実久は島津宗家を争う勢力を持っていましたが、敗れて 島津家に従うことになります。7代忠振(ただとき)は豊臣秀吉を亀ヶ城に向えました。しかし朝鮮の役で秀吉の怒りをかい 改易を言い渡されたあと病死したため、薩州家は途絶え、亀ヶ城は廃城となり、出水・阿久根は秀吉の直轄領となりました。 その後、義弘などの朝鮮の役の功労により出水・阿久根は島津家に返還されることになります。
江戸時代になると、城山の麓の丘陵地帯を造成して、薩摩最大の武家屋敷群を作り、たくさんの武士を置いて肥後との国境の防衛に あたらせました。1612年に幕府が出した一国一城令で全国の山城が壊されましたが、亀ヶ城も同じ運命となったのです。
 
むらさき堂